東京高等裁判所 昭和53年(う)282号 判決 1978年9月12日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一〇月に処する。
原審における未決勾留日数中、三〇日を右刑に算入する。
理由
<前略>
控訴趣意第一のうち、審理不尽、事実誤認をいう論旨について
所論は、要するに、被告人は、原判決判示のように、覚せい剤水溶液を自己の身体に施用したものではなく、昭和五二年一〇月二七日朝、東京都板橋区東新町二丁目四一番地の七板橋ロイヤルハイツ一〇五号廣島操子方で、捜査官に寝込みを襲われた際、たまたまその場にあつた覚せい剤を隠匿するため、とつさにこれを呑み込んだものである。被告人は、当時病気治療中の身で体調も十分でないうえ、就寝前飲酒して酔つていたから覚せい剤を施用することはすこぶる危険であつたなど、覚せい剤を施用するはずがない状況が存する。また、同月二六日夜から二七日にかけ、覚せい剤をみずから注射しようとする内妻廣島操子に対しても、その使用を強く制止したほどである。当日、被告人の逮捕された際、その両腕に若干の注射痕のあることが発見されたけれども、これは、前日まで入院していた花岡病院で受けた点滴注射によるものであつて、これによつて被告人の覚せい剤注射を推認すべきでない。被告人は、原審において、右の旨の主張をしたのにかかわらず、原審は、これらの点につき特段の審理をすることなく、原判示事実につき、被告人を有罪としたが、これは、審理を尽くさず、事実を誤認したもので、この瑕疵は、判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
そこで、記録および証拠を精査し、当審事実取調の結果をもあわせて検討すると、原判決は、被告人に対する「罪となるべき事実」として、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五二年一〇月中旬ころから同月二七日までの間、東京都内において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンを含有する水溶液若干量を自己に施用し、もつて覚せい剤を使用し」た旨を判示しているところ、被告人は、捜査段階以来、原審および当審を通じ、所論の日時場所で、所論のとおり覚せい剤を呑み込んだ旨を主張してやまないのであるが、右呑み込みの際には、結晶粉末をそのまま呑んだというのであつて、水溶液にしたとはいつておらず、他に被告人が水溶液を飲用したと認めるべき証拠は存しない。さらに、原判決の「証拠の標目」には、「司法警察員作成の写真撮影報告書(甲9)」および「検察官作成の報告書謄本」が挙示されているが、前者(原審記録三五の一七丁)は、被告人の前記逮捕当日撮影にかかる被告人の両腕肘関節内側に存する注射痕(複数)の写真を中心とするものであり、後者(同三五の一四丁)は、覚せい剤注射後の時間経過と排尿中に覚せい剤を検出することの能否との関係についての調査結果である。これらの事実に徴すれば、右事実摘示は、被告人の主張する粉末の呑み込みを認定したものではなく、通常多用せられる水溶液の注射施用を認定したものと解するほかはない。
しかるに、本件証拠中には、被告人が覚せい剤水溶液を注射施用したことを直接に認定しうる根拠となる自供、目撃者の供述、あるいは物証その他の客観的証拠はまつたく存在しない。もつとも、前記逮捕当日の午後五時ころ採取された被告人の尿から、フエニルメチルアミノプロパンが検出されたこと、および、当時、被告人の両腕に前記のとおり若干の注射痕があつたことは認められるけれども、前者の事実は、被告人が、採尿に近接した時点で、なんらかの方法により、覚せい剤を体内に摂取したことを示すにとどまり、摂取の方法が注射であつたことまでを推認させるものとは言いがたく、後者の点も、当審証人花岡俊雄の証人尋問調書によれば、右注射痕は、被告人の主張するように、被告人が花岡病院に入院中に受けた点摘注射によるものとしてなんらの不合理はない。従つて、これらの状況から原判示のような覚せい剤水溶液の注射施用を認定することは到底なしえざるところである(なお、本件証拠上、施用の時期の初めを原判示のように昭和五二年一〇月中旬とすべき理由は明らかでなく、また、原判示の期間中に、被告人は少なくとも一回埼玉県に赴回た形跡があるので、原判示の期間内における原判示のような態様の施用の場所が東京都内に限られるものとも断定できない。)。
これに対し、被告人は、さきにも触れたとおり、捜査段階から原審、当審にいたるまで、一貫して、自分は、昭和五一年二月に判決を受けた事件以降、覚せい剤の注射は一切しておらず、ただ、昭和五二年一〇月二六日、花岡病院を退院して前記廣島方で一泊した際、その翌朝、警察官が同所を捜索に来たので、たまたまテーブルの上に覚せい剤粉末少々が置いてあつたところから、これを隠匿するため銀紙包みのまま口中に入れて噛み砕き、そのまま呑み込んだことがあるにとどまる旨を主張している。しかも、この主張に反する証拠はなく、かえつて、当審で取調べた宮本篠二の検察官に対する供述調書によれば、右捜索に際して被告人に右のような振舞のあつた事実を認めるに足りるのである。そして、前記のように被告人の排尿中に検出された覚せい剤も、右のように呑み込んだものが吸収排出されたと考えてなんら不合理な点はない。
そうすると、原審の認定した事実は、本件証拠上これを維持し難いのであつて、被告人の右主張につき、さらに特段の審理をすることなく、これを排斥して、前記のとおり覚せい剤水溶液の(注射)施用を認定した原判決は、審理を尽くさず、ひいて事実を誤認したものというべく、この瑕疵は、犯行の日時、場所、手段、方法等、その態様の全体につき著しい差違を来たし、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は、この点において破棄を免れない。論旨は理由がある。
なお、控訴趣意第一のうち、法令適用の誤をいう論旨は、要するに、被告人は、捜査官に寝込みを襲われ、とつさに本件覚せい剤を隠匿するため呑み込んだもので、右は、覚せい剤取締法一九条にいう覚せい剤の「使用」にあたらないのに、原判決が同条項を適用したのは、法令適用の誤である、というのであるけれども、原判示事実は、前示のとおり、水溶液の施用を認定したもので、所論のような呑み込みを認定したものとは解せられないから、所論は、原判決の認定しない事実を前提とする主張に帰し、採用のかぎりでない(ちなみに、後記のとおり、隠匿のため覚せい剤を呑み込んだ場合でも、覚せい剤の使用にあたると解するのが相当である。)。
よつて、控訴趣意第二(量刑不当の論旨)についての判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三七九条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、当審における変更後の訴因に従い、被告事件について、ただちに次のとおり判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五二年一〇月二七日午前九時四〇分すぎころ、東京都板橋区東新町二丁目四一番地の七板橋ロイヤルハイツ一〇五号廣島操子方で、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンを含有する粉末若干量を経口摂取して自己に施用し、もつて、覚せい剤を使用したものである。
(証拠の目標)<略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は、覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に該当するので、その所定刑期範囲内で被告人を懲役一〇月に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中、三〇日を右刑に算入する。
なお、右法令の適用につき一言する。
そもそも、覚せい剤の使用は、覚せい剤取締法一九条により、一定の事由のあるとき以外は、一般的に禁止されているところであるが、同法条の法意が、覚せい剤濫用の及ぼす害悪を防止するため、所定の合理的適正使用の場合を除くほかは、覚せい剤を用いることをすべて禁圧しようとするにあることに照らし、同法四一条の二第一項三号でその違反が処罰される覚せい剤の「使用」とは、覚せい剤を、その薬物としての用法に従つて用いる一切の行為を指称するものであつて、人体に施用する場合、注射、飲用、塗布その他薬物使用の方法によつて、これを自他の身体に摂取あるいは投与した以上、行為者の主観的意図が、快感・刺激の享受であるか、学術の研究であるか、あるいは隠匿であるか等の事情は、「使用」の成否にかかわりがないと解するのが相当である(もちろん、あらかじめ化学変化を起こさせ、あるいは厳重な包装をするなど、人体との親和性を完全に排除し、体内に吸収されることのないよう特段の措置をとり、薬物としての効用を滅却させるような場合は格別である。)。
これを本件についてみるに、被告人は、本件覚せい剤の銀紙ビニール袋等による軽易な包装を噛み砕き、その内容物を呑み下したもので、その際、覚せい剤特有の強い苦味を感じたというのであり、そのうえ、その後の排尿中には覚せい剤成分の存在することが検出されており、右のように経口摂取した覚せい剤が体内に吸収されたことをも推認するに足りるのであるから、被告人の主観的意図が隠匿にあつたとしても、それ故に被告人の所為が「使用」にあたらないということはできない。
(量刑について)
被告人が本件に及んだのは、前示のとおり、所在の覚せい剤を隠匿して警察官による発見を妨げようとしたものであつて、その動機が憫諒すべきものとはいえず、これに、古い前科は格別、さきに同種覚せい剤取締法違反の罪により懲役一〇月、執行猶予三年に処せられ、その執行猶予期間中で、覚せい剤については特に慎重に行動すべきであるのに、またもや本件の所為に出ていることは軽視できない。その他本件にあらわれた一切の事情を考慮して、主文掲記の量刑をした。<以下、省略>
(草野隆一 中野武男 田尾勇)